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11/16 RR 要約・コメント

現代中東と帝国―「危機の構図」再考―

木村正俊(国際政治学者)

 

1.イントロダクション

9.11以降、イスラームの大義を掲げた暴力と自由と民主主義を掲げた暴力、二つの「正しい」暴力の衝突がエスカレート

 

中東における紛争→国際政治に影響を与える

現在、「正しい」暴力の衝突が蔓延し、*シュミット的な「世界内戦」の状態にある。

*カール・シュミット(Call Schmitt):ドイツの思想家、政治学者

 

現在の中東は米国の一極支配。

 

本稿は、1979年以降の先進国と途上国との政治的関係を帝国主義論で把握することを参考にし、米帝国の危機、動揺を脱植民地化(decolonization)の理論で考察することを目的としている。

 

2.*英帝国と脱植民地化

*英帝国:イギリスとその植民地、海外領上の総称

 

・帝国と帝国主義に対する理論的展開の波

第一波:20世紀初めの*ホブソンや*レーニンの帝国主義の理論

*ホブソン(John Atkinson Hobson):イギリスの経済学者

*レーニン:ロシアの革命家、政治家

 

第二波:1953年に発表された論文「自由貿易帝国主義」とスエズ危機の直 後にその主要部分を執筆した「アフリカとヴィクトリア時代の人々」は、帝国研究に革命をもたらした

 

前者、帝国主義に関するヴィクトリア中期と後期の連続性を主張。

後者、帝国の膨張をヨーロッパ内部の要因に求める見方が批判された。

1968年英帝国は*スエズ以東から軍事的撤退、1973年*EEC加盟が実現。

*スエズ:エジプト東部、スエズ運河の南端に位置

*EEC:ヨーロッパ経済共同体

これにより、英帝国の解体が明白になった。

第三波:80年代における帝国衰退、「脱植民地化」を扱う研究

・衰退・解体していくことになった英帝国とはどういう存在なのか?

→英国を中心とした世界的なシステム

byジョン・ダーウィン:脱植民地化研究の第一人者

                    ↓

「英帝国とは、帝国本国への公式の忠誠ではなく、強度と性質において様々な経済的・戦略的・政治的・文化的な結びつきによって一つにまとめられた、独立した地域・半独立的な地域・従属した地域からなる寄せ集め的な構成体である。」

英国の軍事的。経済的パワーを軸にしていた帝国的システム

 

ダーウィンの著書『英帝国の終焉』を参考に脱植民地化に関する諸理論の整理

―第一章 英帝国の脱植民地化の様々な理論を三つの領域(政治的、経済的、イデオロギー的変化)と二つのレベル(英本国、国際関係、周辺地域)に基づいて概観

―第二章 「国内政治と英国の帝国撤退」

ここでは、英国での政治的・イデオ回ギー的変化と脱植民地化に 関する様々な説が取り上げられている。

 

ダーウィンによれば、市民の態度(世論)は様々であり、常に反帝国主義であったわけではない。

→予測困難で不確実な世論

保守・労働両党は、それぞれの内部に帝国・植民地に強い関心を持つグループを抱えていたが、大国としての地位を維持することに関して*コンセンサスがあった。

*consensus:一致した意見

 

両党の方針が脱植民地化を促したわけではなく、国内政治は帝国の解体に決定的な役割を果たしていなかった。

 

―第三章 「経済と帝国の終焉」

ここでは、経済的要因による脱植民地化論が検討されている。

 

経済力を重視する立場

→英国経済の弱体化が帝国からの撤退をもたらしたという説。

英帝国のシステム性を重視する立場

→英国からの資源と工業生産物の輸出、移民、様々な地域からの資源や農産物の輸出という帝国内のネットワークは不可欠であり、そのため、帝国周辺地域の対外的経済関係が多様化し英国との関係が弱体化すると帝国が崩壊するという説。

他方

→英国も次第にヨーロッパとの経済的関係に利益を見出すようになる。それにより、経済的衰退ではなく、帝国からの離脱が帝国解体の重要な要因という説。

 

ダーウィンの考え

*第二次世界大戦後の経済の弱体化と帝国の終焉の関係

・アフリカにおける「第二の植民地占領」.… ドル獲得のための植民地政府の改革

・英国の経済の弱体化、コモンウェルス諸国(1)との結びつき

*英国政府の帝国維持

・ポンドの国際的地位、シティー(2)の利益と役割

・「ジェントルマン資本主義論」

 

なぜ、国際金融における立場を失わなかったのか?

ジェントルマン主義:国際通貨としてのポンドの地位を維持すること、シティーの地位を維持することに関係がある

シェンクの考え:ポンドの国際的地位維持のための政策は、シティーの利益の維持に反していた

               ↓

ユーロダラーの存在

→経済的衰退は直接的に英帝国の解体をもたらさなかった

 

*米ソ冷戦と反植民地主義ナショナリズム

・軍事費負担による国力の消耗、経済力の消耗

・米ソ両大国からの批判…民族自決

・米国のジュニア・パートナーとして帝国を維持

→ 中東は英国に委ねられた…エジプトの重要性、スエズ基地

第二次世界大戦後における、植民地支配の正当性喪失

第三世界(3)のナショナリズムヘの対応

 (例)ナセル(4)による英帝国のスエズ基地撤退

  ・米国のイラン支配

 *帝国維持の重視による第三世界への影響

  ・第三世界ナショナリズムに対する軽視→帝国終焉を促す

第二次中東戦争(5)、アラブ・イスラエル戦争(6)

・英国、フランス、イスラエルによるナセル打倒の共同軍事作戦

→米国、アジア、アフリカ諸国からの批判

スエズ戦争

国連が反植民地主義を促進

米ソ→新興独立諸国、独立を目指す勢力への配慮

英国→米国、半植民地主義に対する配慮

            ↓

帝国維持のための行動が制限される

(1)コモンウェルス諸国…英連邦王国、英国と英国の植民地だった独立主権国家から成る連合

(2)シティー…City of Londonロンドンの特別行政区域。銀行、保険、証券取引などが集中し国際金融、商業の中心地

(3)第三世界発展途上国 (第二世界 社会主義諸国、第一世界 欧米先進資本主義諸国)

(4)ナセル…ガマール・アプドゥル=ナーセル エジプトの軍人、政治家。

(5)第二次中東戦争…エジプトとイスラエル、イギリス、フランスがスエズ運河を巡って起こした戦争

(6)アラブ・イスラエル戦争…ユダヤ人国家イスラエルとアラブ国家との間での戦争。米英仏とソによる武器供給

 

『英帝国の終焉』第5章「植民地ナショナリズムの襲来」では、英帝国の周辺地域におけるナショナリズムと英帝国終焉に関係に関する様々な説が紹介されている。

 

第二次世界大戦時、経済的困難の波は植民地政府の不満を増大していた。時を同じくして、植民地政府の開発がもたらした経済と社会の変化は結果的に同政府への反発を生み出した。

→近代化志向のナショナリスト(宗教的、文化的、階級的などカテゴリ は様々)が力を強め、政府に代わって人々の要求に対応出来る存在になろうとする

ナショナリズム運動」

 

すなわち、帝国支配からの撤退は、英国と周辺地域の集団の間の政治的協力関係の条件の変化を示唆し、「協カメカニズム」の解体ではなく、再構築と解釈するのが正しい。

→ しかしながら、なぜ、英国を軍事力にものを言わせ、主従関係を続けようとはしなかったのか。

このころには、暴力・軍事的支配は国内。国際世論、経済、安全保障への多大な影響を与えかねない時代であったということ。

 

以上のように、周辺地域の反発や、国際的な経済、安全保障への影響など複数の力学が作用し合い、脱植民地化の流れは出来上がった。

 

しかし、脱植民地化の流れはいいことを生み出したのだろうか?

脱植民地化により独立した諸国は外交的自立性を獲得して、国際政治に参加できるようになり、自国内の経済や社会をある程度コントロールできるようになった。

だが、先進国との対等な関係をもたらされることはなく、英帝国の終焉と脱植民地化はパワーバランスが変わることはないと示した一つの事例である。

 

・英国帝国維持に対して、民族解放を掲げていた米ソも冷戦において英国の力が必要なため、帝国維持を容認している。また、英国によるイランの支配に対して反対していたはずの米国がトゥーデ党の影響を理由に結局米国自身の植民地にしている。このようなことから、第二次世界大戦後は、植民地主義が国際政治の世界で正当性を失ったとはいえ、自国の利益になるのなら容認していたことがわかった。そして現在でも植民地とまではいかなくても、一部の先進国が他国で意図的に内戦を行わせたり、武器を供給したりと自国の利益のために、他国を犠牲にする行為が続いているように感じる。

 

・何かしらの大きな支配の下からの解放や独立というものは、表面だけを見ればいいことのように思えるが、実際には相当は言えない。アフリカ諸国が先進国から独立した時、結果的にモノカルチャー経済に陥ってしまったことの例に近いことを言っていると感じた。結局、先進国と発展途上国の関係性というものは大して変化はなく、暗黙的な主従関係を取り払うことは難しい。

参考文献

木村正俊. "現代中東と帝国ー「危機の構図」再考ー". 思想. 2016, No.1107, p93-100

10/12 RR 要約・コメント

ポスト9.11からポスト・スノーデンへ-テロ監視対策

                   井桁大介(弁護士) 

-ポスト9.11時代

9.11テロがポスト冷戦時代を終結

  →多くの国でテロ対策予算が創設

   Ex.)アメリカ合衆国 9.11後、750億$/年が上乗せ

テロ対策が神聖視

  →大規模な監視プログラムの発生

 

1.アメリカの監視政策

  • NSAによる大規模監視プログラム

2013年 スノーデン事件

  米国家安全保障局(NSA)元外部契約社員

エドワード・スノーデン容疑者が暴露した事件

  米国家安全保障局(NSA)が

①米通信会社から膨大な通話のデータ

②インターネット企業から特定の通信内容  を監視

 

PCLOB (Privacy and Civil Liberties Oversight Board)がNSAの問題検証

 上記の①は、何も成果がなかった→やめるべきと判断

  上記の②は、いくつかのテロ予防に成功→有効、適切と判断

   →2015年 USAFREEDOM法 NSAの監視制限

 

ポスト・スノーデン時代の象徴

 監視プログラムの公表

 ↓

 第三者の専門家が検証、包み隠さず報告

 ↓

 法改正

 →テロ対策へのトランスペアレンシー(透明性)、第三者の検証が鍵

 NYPD イスラム過激派は信仰心の強いムスリムの組織→監視

  ↕

 人権NGO(ACLU=アメリカ自由人権協会)

  ニューヨーク州ニュージャージー州で訴訟→監視の中止

 

  • アメリカは監視天国?

 米連邦捜査局(FBI)、NSA

  general counsel(法律家最高責任者)

コンプライアンス・オフィス(法律,企業倫理の遵守)

Inspector general(違反取り締まり責任者)

司法省

National Security Division(国家安全保障課)

ホワイトハウス

 PPD28(大統領政策指令28号)

上院,下院

 インテリジェンス委員

PCLOB,FISA(外国諜報監視法)

 

  • 監視対策の困難さ

 前述の監督制度でテロを完璧に防ぐことは不可能

  ↓

 人権侵害,予算の浪費,無能な機関設計,過度な権限付与,権限の濫用の問題

                ⇓

           厳重な監督制度の必要性

 

2.日本の監視政策 

  ・2010年10月、公安情報流出事件によりイスラム教徒の監視政策があきらかになっ 

   た。 

  ・イスラム教徒、OIC(イスラム協力機構)加盟国出身者であれば監視の対象。 

   *OIC(イスラム協力機構

    イスラム諸国の連帯強化やイスラム教徒の独立闘争支援を目的とする国際機

    関。1971年創設。【コトバンク】 

   ・NYPDのものと瓜二つだったが、裁判所の判断は正反対。

    →「モスクを監視するなどしなければテロを予防できない」と断言。 

    ・東京高裁および最高裁判所の判決により、日本ではムスリムであることを理由

             に監視することを是認。 

   ・国際社会は日本の判決を批判。ポスト・スノーデンの時代において異常な判

    決。

     →このような監視捜査にはテロ予防効果がないとする研究成果や他国の裁判

      例は存在していた。 

  • 裁判所がそのような判断に至った理由 

  ・裁判所による監視プログラムの有効性の検証がおろそかであった。 

  ・証拠でなく妄想で補ってしまった。

   例)イスラム過激派がテロを起こしているという事実。

     イギリス、カナダの二か国において、テロリスト勧誘がモスクで行われた。

      →ドイツでの大量監視(マス・サーペランス)はテロ情報の収集は一件も

       無かった。 

  • 検証と情報公開が機能していないことの弊害 

  ・無駄な監視が生き延びるために予算と労力の利用効率が悪化し、真に有効な対策

   が不十分になりうる。

    →人命をないがしろにする姿勢。 

   ・ムスリムであることを理由に監視しているという事実さえも否定する警察に対す

       る不信感。

    →テロ予防の効果を毀損する姿勢。 

  • 適切な情報公開と検証作業の重要性

  ・国際社会はポスト9・11からポスト・スノーデンへ。

   ・日本の対応は、国際社会の時代の潮流から取り残される。

    →具体的な公開情報に基づいた議論をすることが重要。

    →2020年に控える東京オリンピックへの影響。

 

スレブレニツァで考えたこと

ボスニア紛争、デイトン和平合意が問いかけるもの―

                         長有紀枝(立教大学)

 

1.二十一年目のスレブレニツァ 

 *スレブレニツァ ―ボスニア・ヘルツェゴビナの小村。 

 *スレブレニツァ事件 ―二十一年前(1995年)の夏に起きた。

             「第二次世界大戦以来の欧州で最悪の虐殺」。

             「ナチ・ジェノサイド」「アウシュビッツ」と同義語。 

 *ジェノサイド ―一つの民族の破壊を指す用語。

  一つの集団の全部または一部を破壊する明確な「意図」をもって行われる犯罪。

         genos 民族、部族

         cide  殺害 

2.ボスニア紛争で発生したジェノサイド 

  ジェノサイドは平時にも行われる犯罪→戦争とは関係ない               

              ↓ 

  ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争(スレブレニツァ事件)によってジェノサイドと

  武力紛争が密接なかかわりを持つ 

 

 紛争前のボスニア・ヘルツェゴヴィナ

  ・イスラム教徒のムスリム人 44%

  ・正教徒のセルビア人    31%

  ・カトリッククロアチア人 17%

                   からなる多文化社会

  ・三民族は政治的にも物理的にも三分割が不可能 

 

 1991  ユーゴ解体

        ↑

      クロアチアセルビア人反対

      しかし国民投票により独立が賛成多数

      反対派 セルビア人 VS 賛成派 ムスリムクロアチア

 

 紛争により包囲されたスレブレニツァ

  ナセルオリッチ率いるムスリム人勢力により多数のセルビア人も犠牲になった

 

  1995年11月 ボスニア戦争が終了

         ↓

      ディトン合意でボスニア・ヘルツェゴヴィナボスニア連邦をセルビア

      共和国の2つの主体となった

      現在も多民族・多宗教・多文化という多元的社会からなる一つのボスニア

      を今現在も目指している。

 

 4.普通の人による犯罪とコラボレーター 

  OHRの度重なる要請にセルビア人共和国のブレニッア事件発生後に関与した名簿を

  提出→10年後に約二万人がムスリム人殺害遺体処理に関与が明らかになった 

  戦争が模範的な国民であり愛国者である人物を残虐非道なジェノサイドの首謀者に

  変える(ムラディチ)

 

5.ユーゴスラヴィア人、ボスニア

   ユーゴラスヴィア人…既存の民族を超える新たなユーゴ統合の政策概念

  ボスニア人(ボシュニャワ)…上記と同様に時の民族政策や政治状況と密接に関連

  する概念 

  社会・経済的にボスニア連邦内に住むセルビア人系住民にマイノリティとして政治

  経済的な差別を受けた

  他方、セルビア人共和国内にくらすクロアチア人やボスニア人も同様な差別を受け

  た 

  いずれの民族にも属さないボスニア・ヘルツェゴヴィナ人の誕生

 

6.おわりに 

  現在のシリアの統治の手法

      ↑↓

  ボスニア紛争同様の民族・宗派浄化 

  この強制的な手法でしか停戦はできなかったのか?

 

 ・9.11後のアメリカではテロ対策のため、人権を侵害する監視がなされていた。国民はこれに対しアメリカ政府を批判したが、一方的に政府が悪いとは言い切れないと思う。もし監視方法を公表してしまったら、テロリストたちはほかの手段を使うことになり、テロを止めることができないからだ。テロ対策はとても難しいものであり、なおかつ、国にも法にも重要であると改めて認識した。

 ・非常にNYPDと類似した監視政策を行なっているにもかかわらず、日本の裁判所の対応、警察の対応には驚いた。そのような対応をしたのは官庁など国の上に立つものであるが、この問題点は日本国民すべてに言えるものでもあると考える。基本的に無宗教であるとはいえ、日本全体の宗教に対する理解力があまりにも乏しいのではないかと思う。2020年には東京五輪で世界各地から、様々な人種や宗教を持った人々が日本を訪れるのだから、国際社会から非難を浴びないように日本人全体の意識を変えていくべきだと思う。

 ・今のシリアで起きている紛争と昔にあったボスニア紛争がほとんど同様な内容であった。民族・宗派浄化というものを原因として起きるこの紛争そして、強制的な手法でしか停戦はできないと学んだ姿が見られないので、現在の紛争を起こしている人々にこのボスニア紛争の歴史を伝えるべきではないかと考えた。

参考文献

井桁大介. "ポスト9・11からポスト・スノーデンへ”. 世界. 2016, No.887, p.94-102

長有紀枝. "スレブニツァで考えたこと”. 世界. 2016, No.887, p.103-111

10/5 RR 要約・コメント

誰が「正しい」かを競う戦い―9.11から中東の宗派対立

                              酒井啓子(千葉大学)

  1. 9.11が空けたパンドラの箱

 

(1)1980年代のテロ件数(GTD 米メリーランド大学

・南米・・・1200件~1500件

・中米・・・400件~1100件

・中東・北アフリカ・・・100件~500件

・南アジア・・・500件未満

2004年以降、中東・南アジアでのテロ件数が右肩上がりのまま下がらなくなる。

※その中でもピーク時は2014年で、両地域で1万2000件と、世界中の3分の2以上となる。

 

(2) 宗派対立

 

2003年のイラク(العراق)戦争以降、イスラーム(الإسلام)の宗派は大別される

 

シーア派(الشيعة) VS スンナ派(سني)

2006年2月、イラク中北部にあるシーア派の聖地サマッラ―(سامراء)の聖廟が爆破されたことをきっかけにどの宗派に属するかということが重要視されるようになった。

 

→IS(イスラーム国)の出現

IS ・・・シーア派を「異端」として徹底した殺戮を是とする組織←ISの侵略から祖国防衛を謳いつつ、「シーア派性」を前面に押し出す対IS掃討部隊の存在

 

テロ、宗教的暴力、宗派対立はイラク戦争アフガニスタン(أفغانستان)戦争、イラクとシリア(سوريا)での内戦ISの出現により増加したと考えられる

→この始まりが9.11である

 

 

 

  1. 宗派対立なのか、そうではないのか?

 

  1. 現在の中東における暴力的衝突

2006年以降、イラクの内戦においては、名前を名乗っただけでその人の出身宗派を推測され、拉致や殺害といったことが頻繁に起こっていた。

 

・2011年に発生した「アラブの春

例1)反政府抗議運動として始まったデモ→ シーア派による反王政活動とみなされる。

                    連動して活動を活性化させたサウディアラビア(العربية السعودية)東部のシーア派に対して、サウディ政府はその中心的宗教指導者二ムル・アル二ムル師を2016年1月に処刑。

 

例2)2012年から始まったシリア内戦→  アサド政権の強権的支配はアラウィ―派=シーア派の少数支配と読み替えられ「中東の新冷戦」という事態に陥っている。

 

  1. イラク(العراق)政治を構成させる三大要素

 

政治を構成させる三大要素

・アラブ人スンナ派

・アラブ人シーア派

・クルド民族

 

これらは、湾岸戦争後に国際社会がポスト・フセイン体制を模索し始めた際、アイディアとして提示されたのが宗派別に政治代表制を分ける方式である。←現在、イラクの政治家たちが、この「宗派別のポスト配分」にもっともこだわっている。

 

⇔2014年ハイダル・アバーディ首相は、イラク政治の立て直しのため、宗派に関係なく実務的に優秀な人材を民間から登用することにする→改革は頓挫(失敗)=宗派を基本にした権力構造はイラクに根付いている

 

 

 

 

  1. 中東全般において宗派対立は起きていなかった・・?

・戦後のイラクに駐留した米軍

2007年からブッシュ米政権「ヒューマン・テライン・システム」を導入

※ヒューマン・テライン・システム・・・駐イラク米軍に研究者を従軍させて現地研究と軍への助言を行う政策

 

・ニコラス・クロフリー・・・『マフディ軍の死』出版

マフディ軍の死・・・マフディ軍やサドル潮流など、シーア派イスラーム主義政党が人々に支持され、勢力を拡大するのは宗派の問題ではないという内容。

 

イラクや中東全般で「宗教対立はなかった」と言われ続ける結果となる

(対立の原因は社会格差や階層間の対立だとみなされる)

 

実際、政治社会的マイノリティとされてきたシーア派社会は、どの国においても社会経済的に劣位に置かれてきた。←社会格差

イラクでは南部と都市において貧困層が生まれる

 

イラク人識者は「宗教対立は欧米が持ち込んだ」と主張するが、宗教以外の要素を捨象し、すべて宗教や民族などのわかりやすい対立へ矮小化したことが欧米化といえる。

 

 

  1. 蔓延する「わかりやすい二項対立」

 

9.11以降世界を「敵」と「味方」に分類すようという「わかりやすい二項対立」が蔓延する

 

例1)9.11の崩壊するツインタワーの映像→「我々につくか、やつらにつくか」という圧倒的迫力で「敵」と「味方」に分断した

・・・攻撃される自由世界の人々 VS 攻撃する非民主的なテロリスト=「イスラーム教徒」

 

 

例2)2015年パリでも上記と似たような事件が起きる

 

4.シンボルの増殖

 

  1. シーア派のシンボル

 

シーア派のシンボル=解放

イラクで社会経済的に劣位に置かれていたシーア派社会が一気に宗教的アイデンティティを復活させる。(宗教儀礼、行事など)

 

フセイン政権の転覆により、今までの「持たざる者」の地位から抜け出し、新しい人生を歩むことができるという解放感から実践にうつすことができた

 

  1. スンナ派のシンボル

 

スンナ派のシンボル=ファッルージャという対米抵抗運動

イラク西部の都市であるファッルージャは、住民の大半がスンナ派だがフセイン政権時代に特段優遇されていたわけではない。しかし、イラク社会を宗派や民族で分けて考える欧米の認識により、ファッルージャは反米の街であるとみなされてしまった。

→いくつかの不幸な衝突、事故が積み重なり、駐留米軍に対する抵抗運動がおこる

 

※2004年に起きた日本人5名拉致事件はこの流れの中で発生した。

 

  1. スンナ派シーア派どちらにも言えること

 

・自らの尊厳や権利、価値を主張する際の原点となるのが、自分たちがいかに犠牲になってきているかということ

 

・自分たちの方がいかに「イラク」という祖国を守るために犠牲を重ねてきたかをお互いに競い合っている

 

 

  1. 湾岸地域内のパワーバランスの変化
  • 9.11が中東の「宗教対立」に決定的な影響を与えた主な要素
  • 湾岸地域内の域内勢力バランスの変化
  • 米国の対中東政策の変化

  →サウディアラビアはイラン(إيران)とのむき出しの対立関係に晒される。

  サウディアラビアとイランの域内の覇権抗争、「中東新冷戦」が根幹にある。

 

冷戦が域内全体を巻き込むには、自立の立場を正当化する論理が必要。

→宗派が用いられる。

 

  1. 国際社会の最大の失敗とは何か

9.11後の国際社会の最大の遺恨は、誰が「正しい」かを巡って命を賭ける殺人が是である、という認識。 

「正しさ」の中でも、「犠牲を受けた者だからこそ掲げることのできる正しさ」が圧倒的な説得力を以て軍事行動が容認されることになる。

→これが9.11後の最大の失敗

 

アルカイダからイスラーム国へ

                  保坂修二(日本エネルギー経済研究所)

  1. 十五年目の九月十一日 →アルカイダに対するアラブ人の意識は表裏一体、二律背反である。米国は、アルカイダ壊滅を目指し、アフガニスタンイラクで体制を転覆させ、中東地域はさらに不安定さを増す。 
  2. 事態はますます悪循環の様相を呈し、テロがアフガニスタン(أفغانستان)、イラク(العراق)、サウジアラビア(العربية السعودية)、トルコ(تركيا)、リビア(ليبيا)、イエメン(يمني)、パキスタン(باكستان)、エジプト(مصر)、チュニジア(تونس)、シリア(سوريا)へと拡大。さらに最近では欧米や南アジア、東南アジアへも拡散している。
  3.  
  4. ○大半のアラブ国…非民主的な独立国家、報道の自由ないため政府批判できず、米国や西欧に責任転嫁するのが一般的。アラブ人の多くが9.11の実行犯であるアルカイダ(تنظيم القاعدة)を支持しているかのような誤解を生む。しかしアルカイダを支持する者もいる。
  5. アルカイダの興隆

   1990年8月 

   イラク、隣国クウェート(الكويت)に侵攻(湾岸危機)ソ連が、社会主義を標榜 

  するイラクではなく、首長制のクウェートを支援し、米国を支持すると  

  いう「新世界秩序」を目撃することとなる。

 

  • ジハードの標的としての米国→一部の法学者は米軍によるサウジアラビア侵略と解釈。*構図の変化 1998年 オサーマ、「二聖モスクの地を占領する米国人に対するジハード(الجهاد)宣言」を発表。→サウジアラビア駐留米軍に対する攻撃がジハードであり、全ムスリム(مسلم)の義務であると主張。 1990年代 : ジハードの場が紛争の中心から拡散してきた。ジハード主義者の多くが、アフガニスタンでジハードを経験していた、いわゆる「アフガン帰り」(アラブ・アフガン)であった。
  •  
  • 従来のジハード主義 : 紛争の場がジハードの場。
  •  1998年2月 米国人皆殺し宣言に変化(米国人なら誰でも殺害すべし)
  •  米軍=キリスト教軍=十字軍、サウジアラビア=二聖モスク(مسجد)の地へと置き換えられ。「十字軍によるイスラームの聖地占領」という構図に敷行された。
  •  
  •  米国 : イラククウェート侵攻の際、クウェート解放、サウジアラビア防衛のため、サウジアラビアに軍を駐在させる。

 

  1. ISの源流

→テロ組織ISにも受け継がれる潮流。 

 

  1. ISの建国

アルカイダイラク支部は2006年、他の組織を集め、「イラクイスラーム国」という新組織をとくった。リーダーとなったアブーオマル・バグダーディーは、「信徒の統率者」を名乗ったことは、1924年にオスマン帝国がカリフ制(الخليفة)を廃止して以降、消滅したと考えられていた、一部の人にとっての、理想の統治制度であったカリフ制を宣言する布石だったと考えられる。

→2014年、ISはカリフ制樹立の宣言をした。

 

○ISの建国宣言で重要なのはカリフ制と、組織名を「イラク(العراق)とシャーム(شيام)のイスラーム国」から「イスラーム国」と改称したこと。

→西欧列強により人工的に引かれた国境線を、あえて無視したことを内外に示した。しかし、ISがISの一部としてシリアで活動していたヌスラ(النصرة)戦線と対立した際、西欧による国境線を批判しているにも関わらず、国境線に執着していることが露呈した。

 

○預言者ムハンマドが、マッカでの迫害を逃れ、信徒を引き連れてマディーナ(المدينة المنورة)へ移住することであり、これを全ムスリムの義務とした故事にならい、ISはイラク・シリアへのヒジュラ(الهجري)は義務だと主張した。

アラブ諸国だけでなく、世界中から多くの若者が、イラク・シリアに集まり、

治安攪乱要因になっていた。

 

  1. ISジハード主義は止められるか

○現在、イラク政府、シリア政府、米軍主導の有志連合、ロシア等が行っている対IS軍事攻撃により、ISの支配領域は急速に縮小しているが、軍事作戦のみでのIS根絶は不可能である。

 

○軍事作戦は多くの市民を巻き添えにすることで、逆に一般市民の憎悪を買うことになる。また、逮捕し刑務所に入れたとしても、刑務所で反社会的な思想を生み、テロ・ネットワークを構築する起点になっていることが研究によって分かっている。

→ここ数年では、彼らが行動に移す前に、脱洗脳と社会復帰のためのリハビリ・プログラムを受けさせるという、ソフトなアプローチが重視されるようになっている。

 

生活域に浸透するテロリズムの脅威

                     首藤信彦(国際政治経済学者)

  1. はじめに

アルカイダの登場によりテロリズムの意味と影響力は大きく変わった。

→権力支配や土地の帰属から現代世界そのものが攻撃対象になる

 

イスラム国は前近代的な社会制裁を見せつけることで、その地がイスラムの教えが社会原理となっている理想のイスラム国家であるような宣伝する

→現代先端技術やインターネットで強化された最も先鋭的な現代テロリズムグローバル化した世界に猛威を振るい始めている。

 

  1. イスラム国テロリスズムの特徴―対象はシンボルから生活域へ

○最近、イスラム国関係テロ事件として認定、関連が疑われているものは、2015年のシャルリ・エブト事件以降、ソフトターゲットが中心となった。

※シャルリ・エブト事件…2015年1月にフランスで、シャルリ・エブド社とユダヤ人経営のスーパーが攻撃された

 

○武器

・テロネットワークで入手→通信販売、店頭購入できる銃や代用

・市中で調達した材料をもとに、インターネットを見ながらアパートの一室で作った爆薬

・生活域で手にすることができるナイフや斧

・仕事で使う配達トラックがテロの凶器として使われるようになった。

 

○テロの目的は大衆に「恐怖心」を抱かせ、事件の背後にある理由を想起させることであるため犠牲者を出しすぎないようにする。

→最近は、「周囲にいる人全てがターゲットであり、その多くを殺す」ことに意味がシフトしているため、100人を超える犠牲者が出るテロが多発している。

 

  1. アルカイダتنظيم القاعدة)とイジュティハード(الاجتهاد)問題

○現在のテロの源流の根底にあるのが、思想、科学技術で世界をリードしてきたイスラム文明がなぜ、西欧文明の下でみじめな地位に甘んじなければならないのか、という問題意識。

→この意識がゆがんだ形で現れたとき、西欧文明のシンボルやランドマークがテロのターゲットとなる。

 

  1. イスラム国の登場とヒジュラテロリズム

アルカイダ勢力の衰退によって、西欧文明のランドマークを狙ったテロ(イジュティハード型)は減少した。

→しかし、イスラム国の勃興と共に生活圏でのテロ(ヒジュラ型)が出現した。

 

ヒジュライスラムの存亡を賭けたもので、信徒はジハード、殉教を含む必死の努力をしなければならない。

 少なくとも西欧先進国ではモスクに行かない若者が多いため、導師がイスラム国への移住を呼びかけることはまれである。

それにも関わらず、若者がリスクを冒してまでシリアに渡航するのかには二つの側面がある。

  1. イスラム世界ではインターネット時代の到来により、モスクでイマームの指導を受けることなく、イスラム国が配信するコーランの解釈とビデオメッセージによって、イスラムの思想を自己流に理解する。

 

  1. シャルリ・エブト事件の直後、ネットに流されたイスラム国の宣伝映像で、フランス語によりヒジュラを呼びかけた。本来、対立関係にあったアルカイダイスラム国の協力関係成立を暗示する呼びかけを行なった。
  2.  

 

コメント

・「犠牲をうけたものだからこそ掲げることのできる正しさ」が圧倒的な説得力を得て、軍事行動を容認するといった風潮があった。それにストップをかけられなかったことが9.11後の最大の失敗であり、今もなお、戦争がなくならない原因の一つであると感じた。また、攻撃の対象が米軍であったのが、米国人だったら誰でも良いというような皆殺し宣言に変わったたり、イラクの戦いのおいては、イスラーム教徒対異教徒から同じイラク人同士、アラブ人同士、イスラーム教徒同士の戦いに変わっていくなど、簡単には戦争をなくすことのできない世の中になってしまっているのだと思う。

・9.11以降、イラク戦争アフガニスタン戦争、ISの出現もなかったといえる。さらに、9.11以降は世界を攻撃される自由世界の人々と攻撃する非民主的なテロリスト、つまり「敵」と「味方」に分かりやすく分断することとなった。また、イラクや中東においての対立であるにも関わらず、宗派以外の要素が考えられなくなっていることも重要な問題であるといえる。このような点も含め、9.11という出来事は世界を変えてしまったといっても過言ではないと思う。

イスラム教徒同士で争いがおこるのは、宗派間の認識の問題が大部分を占めていることでは収められないということが分かった。また、周りにいるすべてがテロのターゲットであるという認識がより人が集まるところでのテロの原因であることが分かった。テロが市民に恐怖心を抱かせるという理由ではなく、より多くを殺すことだけを目的というのは、生活に密着した場所でより手軽に武器を購入するというところからも読み取れる。

 

 

参考文献

酒井啓子. “誰が「正しい」かを競う戦い-9・11から中東の宗派対立へ-”. 世界. 2016, No.887, p.70-78

首藤信彦. “生活域に浸透するテロリズムの脅威”. 世界. 2016, No.887, p.79-87

保坂修二. “アルカイダからイスラーム国へ-ジハード主義の来し方行く末-”. 世界. 2016, No.887, p.88-91