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11/16 RR 要約・コメント

現代中東と帝国―「危機の構図」再考―

木村正俊(国際政治学者)

 

1.イントロダクション

9.11以降、イスラームの大義を掲げた暴力と自由と民主主義を掲げた暴力、二つの「正しい」暴力の衝突がエスカレート

 

中東における紛争→国際政治に影響を与える

現在、「正しい」暴力の衝突が蔓延し、*シュミット的な「世界内戦」の状態にある。

*カール・シュミット(Call Schmitt):ドイツの思想家、政治学者

 

現在の中東は米国の一極支配。

 

本稿は、1979年以降の先進国と途上国との政治的関係を帝国主義論で把握することを参考にし、米帝国の危機、動揺を脱植民地化(decolonization)の理論で考察することを目的としている。

 

2.*英帝国と脱植民地化

*英帝国:イギリスとその植民地、海外領上の総称

 

・帝国と帝国主義に対する理論的展開の波

第一波:20世紀初めの*ホブソンや*レーニンの帝国主義の理論

*ホブソン(John Atkinson Hobson):イギリスの経済学者

*レーニン:ロシアの革命家、政治家

 

第二波:1953年に発表された論文「自由貿易帝国主義」とスエズ危機の直 後にその主要部分を執筆した「アフリカとヴィクトリア時代の人々」は、帝国研究に革命をもたらした

 

前者、帝国主義に関するヴィクトリア中期と後期の連続性を主張。

後者、帝国の膨張をヨーロッパ内部の要因に求める見方が批判された。

1968年英帝国は*スエズ以東から軍事的撤退、1973年*EEC加盟が実現。

*スエズ:エジプト東部、スエズ運河の南端に位置

*EEC:ヨーロッパ経済共同体

これにより、英帝国の解体が明白になった。

第三波:80年代における帝国衰退、「脱植民地化」を扱う研究

・衰退・解体していくことになった英帝国とはどういう存在なのか?

→英国を中心とした世界的なシステム

byジョン・ダーウィン:脱植民地化研究の第一人者

                    ↓

「英帝国とは、帝国本国への公式の忠誠ではなく、強度と性質において様々な経済的・戦略的・政治的・文化的な結びつきによって一つにまとめられた、独立した地域・半独立的な地域・従属した地域からなる寄せ集め的な構成体である。」

英国の軍事的。経済的パワーを軸にしていた帝国的システム

 

ダーウィンの著書『英帝国の終焉』を参考に脱植民地化に関する諸理論の整理

―第一章 英帝国の脱植民地化の様々な理論を三つの領域(政治的、経済的、イデオロギー的変化)と二つのレベル(英本国、国際関係、周辺地域)に基づいて概観

―第二章 「国内政治と英国の帝国撤退」

ここでは、英国での政治的・イデオ回ギー的変化と脱植民地化に 関する様々な説が取り上げられている。

 

ダーウィンによれば、市民の態度(世論)は様々であり、常に反帝国主義であったわけではない。

→予測困難で不確実な世論

保守・労働両党は、それぞれの内部に帝国・植民地に強い関心を持つグループを抱えていたが、大国としての地位を維持することに関して*コンセンサスがあった。

*consensus:一致した意見

 

両党の方針が脱植民地化を促したわけではなく、国内政治は帝国の解体に決定的な役割を果たしていなかった。

 

―第三章 「経済と帝国の終焉」

ここでは、経済的要因による脱植民地化論が検討されている。

 

経済力を重視する立場

→英国経済の弱体化が帝国からの撤退をもたらしたという説。

英帝国のシステム性を重視する立場

→英国からの資源と工業生産物の輸出、移民、様々な地域からの資源や農産物の輸出という帝国内のネットワークは不可欠であり、そのため、帝国周辺地域の対外的経済関係が多様化し英国との関係が弱体化すると帝国が崩壊するという説。

他方

→英国も次第にヨーロッパとの経済的関係に利益を見出すようになる。それにより、経済的衰退ではなく、帝国からの離脱が帝国解体の重要な要因という説。

 

ダーウィンの考え

*第二次世界大戦後の経済の弱体化と帝国の終焉の関係

・アフリカにおける「第二の植民地占領」.… ドル獲得のための植民地政府の改革

・英国の経済の弱体化、コモンウェルス諸国(1)との結びつき

*英国政府の帝国維持

・ポンドの国際的地位、シティー(2)の利益と役割

・「ジェントルマン資本主義論」

 

なぜ、国際金融における立場を失わなかったのか?

ジェントルマン主義:国際通貨としてのポンドの地位を維持すること、シティーの地位を維持することに関係がある

シェンクの考え:ポンドの国際的地位維持のための政策は、シティーの利益の維持に反していた

               ↓

ユーロダラーの存在

→経済的衰退は直接的に英帝国の解体をもたらさなかった

 

*米ソ冷戦と反植民地主義ナショナリズム

・軍事費負担による国力の消耗、経済力の消耗

・米ソ両大国からの批判…民族自決

・米国のジュニア・パートナーとして帝国を維持

→ 中東は英国に委ねられた…エジプトの重要性、スエズ基地

第二次世界大戦後における、植民地支配の正当性喪失

第三世界(3)のナショナリズムヘの対応

 (例)ナセル(4)による英帝国のスエズ基地撤退

  ・米国のイラン支配

 *帝国維持の重視による第三世界への影響

  ・第三世界ナショナリズムに対する軽視→帝国終焉を促す

第二次中東戦争(5)、アラブ・イスラエル戦争(6)

・英国、フランス、イスラエルによるナセル打倒の共同軍事作戦

→米国、アジア、アフリカ諸国からの批判

スエズ戦争

国連が反植民地主義を促進

米ソ→新興独立諸国、独立を目指す勢力への配慮

英国→米国、半植民地主義に対する配慮

            ↓

帝国維持のための行動が制限される

(1)コモンウェルス諸国…英連邦王国、英国と英国の植民地だった独立主権国家から成る連合

(2)シティー…City of Londonロンドンの特別行政区域。銀行、保険、証券取引などが集中し国際金融、商業の中心地

(3)第三世界発展途上国 (第二世界 社会主義諸国、第一世界 欧米先進資本主義諸国)

(4)ナセル…ガマール・アプドゥル=ナーセル エジプトの軍人、政治家。

(5)第二次中東戦争…エジプトとイスラエル、イギリス、フランスがスエズ運河を巡って起こした戦争

(6)アラブ・イスラエル戦争…ユダヤ人国家イスラエルとアラブ国家との間での戦争。米英仏とソによる武器供給

 

『英帝国の終焉』第5章「植民地ナショナリズムの襲来」では、英帝国の周辺地域におけるナショナリズムと英帝国終焉に関係に関する様々な説が紹介されている。

 

第二次世界大戦時、経済的困難の波は植民地政府の不満を増大していた。時を同じくして、植民地政府の開発がもたらした経済と社会の変化は結果的に同政府への反発を生み出した。

→近代化志向のナショナリスト(宗教的、文化的、階級的などカテゴリ は様々)が力を強め、政府に代わって人々の要求に対応出来る存在になろうとする

ナショナリズム運動」

 

すなわち、帝国支配からの撤退は、英国と周辺地域の集団の間の政治的協力関係の条件の変化を示唆し、「協カメカニズム」の解体ではなく、再構築と解釈するのが正しい。

→ しかしながら、なぜ、英国を軍事力にものを言わせ、主従関係を続けようとはしなかったのか。

このころには、暴力・軍事的支配は国内。国際世論、経済、安全保障への多大な影響を与えかねない時代であったということ。

 

以上のように、周辺地域の反発や、国際的な経済、安全保障への影響など複数の力学が作用し合い、脱植民地化の流れは出来上がった。

 

しかし、脱植民地化の流れはいいことを生み出したのだろうか?

脱植民地化により独立した諸国は外交的自立性を獲得して、国際政治に参加できるようになり、自国内の経済や社会をある程度コントロールできるようになった。

だが、先進国との対等な関係をもたらされることはなく、英帝国の終焉と脱植民地化はパワーバランスが変わることはないと示した一つの事例である。

 

・英国帝国維持に対して、民族解放を掲げていた米ソも冷戦において英国の力が必要なため、帝国維持を容認している。また、英国によるイランの支配に対して反対していたはずの米国がトゥーデ党の影響を理由に結局米国自身の植民地にしている。このようなことから、第二次世界大戦後は、植民地主義が国際政治の世界で正当性を失ったとはいえ、自国の利益になるのなら容認していたことがわかった。そして現在でも植民地とまではいかなくても、一部の先進国が他国で意図的に内戦を行わせたり、武器を供給したりと自国の利益のために、他国を犠牲にする行為が続いているように感じる。

 

・何かしらの大きな支配の下からの解放や独立というものは、表面だけを見ればいいことのように思えるが、実際には相当は言えない。アフリカ諸国が先進国から独立した時、結果的にモノカルチャー経済に陥ってしまったことの例に近いことを言っていると感じた。結局、先進国と発展途上国の関係性というものは大して変化はなく、暗黙的な主従関係を取り払うことは難しい。

参考文献

木村正俊. "現代中東と帝国ー「危機の構図」再考ー". 思想. 2016, No.1107, p93-100